玉龍の校舎が建っている敷地は,かつて薩摩藩時代の名刹であった「玉龍山福昌寺」が500年の歴史を刻んだ跡です.この福昌寺は旧藩主島津家の菩提寺であったと同時に,藩内随一の学問所として教育・文化の一大中心を成していました.明治維新の原動力のなった先人たちも指導を受けています.この由緒ある史実にあやかり「行学一体」の鍛錬精神と「文武両道」の精神を本校教育のよりどころとし,その証として校名が「玉龍」と制定されました.
平成2年,創立50周年記念行事事業のひとつとして新体育館が建設されましたが,その発掘調査の時,寺門のあった場所から中央部のへこんだ大きな踏み石が出てきました.それを見ていると,「わらじ履きのすずやかな目をした若い学僧たちが,行脚のために出入りする」様子が目に浮かんでくるようです.「雨垂れ石を穿つ」という言葉がありますが,人間の日々の研鑽も石を穿つのです.
本校はこのような学問場にふさわしい環境のもとで,偉大な先人の精神を台木に青少年の心を接ぎ木し,新しい時代の教育の殿堂にしようと,鹿児島市が創立した全日制の中高一貫教育校です.